紀北青年僧の会では、8月15日に、お盆でお祀りしたお供え物をお預かりし、供養しています。
現在では、お盆にお迎えしたご先祖様を送る行事となっていますが、かつてはお盆に出たゴミを集めるという、ボランティア活動から始まっています。
紀の川 お供え物供養の歴史
昔からお盆の時期なると、ご先祖様があの世から帰ってくるといわれています。地域によっては期間が違う場合もありますが、ほとんどの場合8月12日にお墓へお迎えのお参りに行き、14日まで自宅にお祀りします。お仏壇とは別に棚を作り、そこへ位牌を祀り、野菜や果物などをお供えし、提灯や櫓をたてて、立派に飾って準備をします。
ご先祖様には馬に乗って早く帰ってきてもらい、帰るときは牛に乗ってゆっくり帰ってもらう、という意味で、キュウリの馬とナスの牛を作るご家庭もあるのではないでしょうか。
そして、8月15日になると、これまで自宅でお祀りしていたご先祖様を、あの世へとお送りします。おがらを燃やして送り火を焚き、家族みんな手を合わせてご先祖様を見送ります。
お盆の期間は、一般的に大まかにはこのように過ごすのではないでしょうか。
ところが、このお盆という行事、地域によってお迎えの仕方も送り方も違います。当然、和歌山では和歌山の風習があります。
和歌山は海が近いということもあってか、お盆でお迎えしたご先祖様を、海や川へと流して送るという風習がありました。棚を作ってお供えした野菜や果物、塔婆などをご先祖様に見立てて、あるいは小さな船のようなものを作って、海や川へと流します。
紀の川のゴミ拾い
お盆のお供え物を、海や川に流したらどうなるでしょうか。
流したお供え物は、ゴミとして漂うことになります。
特に紀の川は、和歌山の人々の生活の中心となる川です。人々の生活に浸透している場所というのは、同時に信仰の対象にもなります。昔から、お盆にお迎えしたご先祖様を、紀の川の流れにのせて送る人がたくさんいました。
結果として、お盆が終わった後の紀の川には、たくさんのお供え物のゴミであふれかえっていました。
この問題に目をつけた当時の青年僧の会員が、ゴミとして流れているお供え物を集めるというボランティア活動を始めました。
つまり、紀の川のゴミ拾いからこの行事が始まったのです。
お供え物を預かる
数年間、紀の川のお供え物拾いのボランティアをしていました。しかし、会員の人数もそれほど多くない中、広範囲に流れるゴミを集めることは大変な苦労になります。いくら頑張ったところで、すべてのゴミを拾うことはできません。
そこで、川や海に流してしまわないように前もって場所を設けてお供え物を受け取り、お焚き上げして供養し、処分することにしました。
西山浄土宗のお寺を通して、檀信徒の皆さんに声をかけ、またラジオなどを通して呼びかけるなどして、お供え物を持ってきてもらうようにしたのです。
紀の川の「灯籠流し」
あわせて、法要を営んでご先祖様のご供養を始めました。お供え物を流すかわりに、塔婆によるご回向をすることで、お盆にお迎えしたご先祖様を送るようにしたのです。
また、灯籠供養も行いました。戒名を書いた灯籠に明かりを灯し、川へ流してご先祖様を送る、いわゆる「灯籠流し」です。もちろん、流した灯籠をそのままにしていればゴミとなってしまうので、翌日に会員が灯籠の回収をしてまわりました。
こうして、お供え物によるゴミを拾い集めるボランティア活動から、紀の川の「灯籠流し」へと形を変えていきました。そして次第に、紀の川に大量に流されていたお供え物によるゴミも無くなっていったのです。
現在の姿「お供え物供養」
紀の川の「灯籠流し」として檀信徒の皆さんに親しまれ、本当にたくさんの方がお参りに来るようになりました。同時に、ボランティア活動だったこの活動が、お盆にお迎えしたご先祖様を送る「精霊送り」として、宗教的な役割が大きくなりました。
しかし、川へ流す灯籠の数が年々増えていき、それに伴って流した灯籠がゴミとなる問題が起こるようになりました。灯籠の数が増えても、会員数はそれほど増えませんでしたので、回収しきれない物が出てくるようになったのです。紀の川のゴミを減らそうと始めた行事が、これでは本末転倒です。
あわせて、紀の川の河川敷周辺の道路が整備されるなどして、物理的に川へ灯籠を運んで流すということができなくなりました。
結果として、灯籠は流さなくなり、明かりを灯して並べることでご供養をすることになりました。
また、灯籠を流さなくなったので「灯籠流し」から「お供え物供養」へと名称を変更することにしました。(話の便宜上「灯籠流し」という言葉を使うことはありますが・・・)
お盆の「お供えゴミ」の問題
お盆のお供え物によるゴミの問題は、まだまだ改善されているとは言いがたいのではないでしょうか。
紀の川のゴミ拾いが始まったのは、今から40~50年ほど前のことです。当時はお盆に迎えしたご先祖様を、果物や野菜、あるいは塔婆などをご先祖様に見立てて、海や川に流すことによって見送るという風習が各地で根付いていました。これは、昔から代々続いてきた先祖供養という信仰の証として、とても大切なことです。しかし一方で、流したお供えはゴミとして海や川を漂うことになります。
紀の川に流れたお供え物による「ゴミ」は、当時の人のご苦労によって取り除かれ、現在ではほとんどなくなりました。しかし、お盆の「ゴミ」問題は何も変わっていません。紀の川に流れなくなっただけで、ゴミそのものが減っているわけではないのです。
「お供え物供養」の実際
「お供え物供養」では、お盆におまつりしたお供え物をお預かりして、供養しています。しかし、預かった物によって処理のしかたが違います。
塔婆、おがら、やぐら、位牌、提灯など、燃える物はお焚き上げをして供養します。
果物、野菜、お菓子などの生もの類や飲食物、燃えない物は、供養の後、翌日にパッカー車に来てもらって「ゴミ」として処理しています。
つまり、お盆の期間中にお供えした物の多くが、最終的には「ゴミ」として処理されているのが現状で、しかもその多くは果物や野菜などの生もの類なのです。そして、その日だけで集められるお供え物の「燃えないゴミ」は、およそ2.5トンにも上ります。
お盆の期間中、ほとんどの人が、ご先祖様に対していつも以上にお供え物をしてお迎えをして、供養していると思います。
しかし、お供えした物が最終的には「ゴミ」となっている、つまりは食べ物が無駄になっているということです。
ご先祖様に対する気持ちはよくわかります。また、夏の暑い期間のことですので、腐っているかもしれないという心配もよくわかります。しかし、結果として食べ物が無駄になってしまっている現状を見て、どうでしょうか。
ご先祖様に召し上がっていただくという気持ちはとても大切ですが、無駄を増やし、ゴミを増やし、意図せずとも環境問題に変わってしまっている現状は、意識をして変えていかなければいけません。信心信仰によって、今を生きる私たちが社会問題を起こしてしまっていては、意味がないのではないでしょうか。
お供えした食べ物について
お供えした食べ物は、食べるようにしましょう。
お供え物を食べるのは、仏様のお下がりをいただくということでとても功徳があり、供養になります。なにも遠慮することはありません。もちろん、腐った物まで全部食べなさいというわけではありません。腐る前にお下がりとして召し上がってください。
また、お盆のことです。12日から15日まで、同じ物をお供えし続けている人も多いでしょうが、お盆の期間中でも足の速い物から順番に途中でさげて食べていただいても結構です。
お供え物を、食べきれるものだけに減らしたり、夏の間でも長持ちする物にしたりと、なるべく「ゴミ」になる物が増えないような工夫をするようにしましょう。